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東京地方裁判所 昭和48年(ワ)1148号 判決

原告 李徳三 ほか一名

被告 国 ほか二名

訴訟代理人 前蔵正七 篠田学 ほか五名

主文

(一)  被告津田産業株式会社および同境文一は各自

1  原告李徳三に対し金三一三万八、三五七円および内金二八七万八、三五七円に対する昭和四四年八月二三日から、内金二六万円に対する昭和五一年二月一九日から

2  同佐々木恵美子に対し金二、一五〇万六、二一一円および内金二、〇〇〇万六、二一一円に対する昭和四四年八月二三日から、内金一五〇万円に対する昭和五一年二月一九日から

いずれも支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  原告らの被告津田産業株式会社および同境文一に対するその余の請求並びに被告国に対する請求をいずれも棄却する。

(三)  訴訟費用は、原告らと被告国との間においては全部原告らの連帯負担とし、原告らと被告津田産業株式会社および被告境文一との間においては、これを五分し、その二を原告らの連帯負担、その余を右被告らの連帯負担とする。

(四)  この判決の第一項は仮に執行することができる。

事  実 〈省略〉

理由

一  事故の発生

請求原因(一)の事実は、被告境との間において争いがなく、被告国および被告会社との間においては、〈証拠省略〉によつて、これを認める。

二  被告らの責任および過失相殺

(一)  本件道路の状況

〈証拠省略〉によれば、次の事実が認められる。

本件道路は、一宮町方面と熊本市方面とを結ぶ、アスフアルト舗装され、中央線(幅員三〇糎)で二分された、片側一車線の一般国道であり、本件事故現場付近は、熊本市方面から一宮町方面に向う車線の幅員が中央線の中央から外側線の内側まで三・二六米、路肩部分一米であり、一宮町方面から熊本市方面に向う車線の幅員が、中央線の中央から外側線の内側まで三・三四米、路肩部分一米となつている。また本件事故現場付近の本件道路両側は、雑木が散在する畑地で、建物、工作物等見通しを妨げ、あるいは本件道路に対する日照を妨げるものは存在しない。そして、一宮町方面から熊本市方面に向つて進行すると、一旦かなり急な勾配の坂を下り、その後数百米の間穏やかな勾配の上り坂となり、大協石油ガソリンスタンド前付近から再び下り坂となり、本件事故現場を経て立石橋に至る。右ガソリンスタンド付近から立石橋の少し手前まではほぼ直線に近い状態であり、立石橋付近で曲線半径三〇〇米位の左カーブとなつている。右ガソリンスタンド付近から立石橋付近まで勾配は、別紙本件道路縦断面図に記載したとおりであり、一番勾配の急な場所である測点番号二〇四から二〇六までの間の勾配が五・四五パーセントとなつている。また、本件事故現場付近の本件道路における視距は約二〇〇米である。なお、本件事故当時本件事故現場付近に速度制限の規制はなされていなかつた。

(二)  本件事故の状況

〈証拠省略〉によれば、次の事実が認められる。

被告境は、加害車を運転して一宮町方面から熊本市方面に向い、本件道路を時速五〇粁位で進行し、大協石油ガンリンスタンド前を通過して下り坂にかかり、測点番号二〇四と二〇五とのほぼ中間位の道路左側に立つていた「ブレーキテスト」の標識を認め、測点番号二〇六付近でテストするためブレーキをかけたところ、加害車が右斜め前方に滑走して中央線を越え、折柄対向して来た車両と一〇余米位進行した地点で接触し、さらに滑走を続け、三〇余米進行した測点番号二〇八付近の対向車線上で、停止していた被害車に正面衝突した。

一方、原告李は、被害車を運転して本件道路を熊本市方面から一宮町方面に向い、時速四〇粁位で進行して本件事故現場付近に至つたところ、加害車が中央線を越えて前記のとおり対向車に接触するのを認め、危険を感じて急ブレーキをかけ、測点番号二〇八付近に停止したところ、間もなく加害車に正面衝突された。

なお、本件事故当時、雨がかなり強く降つていた。

(三)  被告境の責任

前記二(一)、(二)の事実によれば、加害車が滑走したのは、被告境が下り坂の途中において急激にブレーキをかけたためであると推認され(被告境本人は、ブレーキを急激に踏んだ覚えはない旨供述するが、たやすく措信しがたい。)、同被告には、降雨のため路面が滑りやすい状態にある下り坂においては、急激なブレーキ操作を避けなければならない注意義務があるのにこれを怠り、漫然急激にブレーキをかけて加害車を対向車線に滑走させて本件事故を惹起させた過失があるものというべきである。

(四)  被告国の責任について

本件道路が、被告国の設置、管理にかかるものであること、本件事故現場付近の右道路に、滑り止めを混ぜたアスフアルト舗装ではなく、通常のアスフアルト舗装をしてあることは、被告国との間において争いがないところ、原告らは、被告国が本件事故現場付近の道路に滑り止め舗装をすべきであつた旨主張するので考える。

1  〈証拠省略〉によれば、滑り止め舗装をした場合には、通常のアスフアルト舗装に比して耐久性がなく、かつ、自動車のタイヤの損耗が激しいという欠点があるところ、本件道路につき滑り止め舗装をすべきか否かの点につきよるべき行政上の基準としては、九州地方建設局長が管内の工事事務所に宛てた通達「土木工事設計要覧」(以下「要覧」という。)があり、これは、滑り止め舗装までしなくてもよいような道路の構造を考えるという見地から、道路構造令に定めた特別の場合を極力採用しないようにすべきこととしたうえ、地理的条件等からやむをえずこれによりがたい場合には、滑り止め舗装を次の標準によつて採択するものとし、〈1〉縦断勾配が七パーセント以上ある場合、〈2〉曲線半径が一般以下である場合、〈3〉曲線半径及び片勾配の値に応じて視距がやむをえない条件等からとれない場合、〈4〉付近の地形・他の施設の状況等から、〈イ〉日中において日陰になる時間が多く、そのために路面がたえず湿潤状態にある箇所、〈ロ〉滑りによる事故多発箇所等をその採択標準としてあげていることが認められる。

(1) 〈証拠省略〉によれば、本件道路は、昭和四二年九月か一〇月頃に供用開始された、山地部にある一般国道で、供用開始後、路面に補修を加えたことはないが、路面の状況は、現在もなお良好であることが認められる。そして、前記二(一)の事実によれば、本件道路は、本件事故当時効力を有していた道路構造令(昭和三三年八月一日政令第二四二号)に定める一般的基準に、曲線半径、視距、縦断勾配とも合致し、これを現行の道路構造令(昭和四五年一〇月二九日政令第三二〇号、その後の改正を含む。)の基準に照らしても、曲線半径および視距は一般的基準に合致し、縦断勾配については、本件道路の交通量が不明であるので一概には言えないが、交通量が一日につき二万台以上とみれば、一般的基準の五パーセントは及ばないが特別基準の六パーセント又は七パーセントの範囲内であり、一日につき二万台未満とみれば、一般的基準の六パーセントの範囲内である。いずれにせよ、本件道路が要覧〈1〉ないし〈3〉の標準に当らないことは明らかである。

(2) 前記二(一)の事実によれば、本件道路が要覧〈4〉〈イ〉の標準に当らないことも明らかである。

(3) 〈証拠省略〉によれば、本件道路のうち大協石油ガソリンスタンド付近から立石橋付近の間で衝突した事故件数は、昭和四二年が三件、昭和四三年が三件、昭和四四年が六件、昭和四五年が四件、昭和四六年が二件、昭和四七年が一件、昭和四八年が三件であるが、立石橋から熊本市方面へ区間を拡げて考えると右よりも多くなること、右の件数のうちには、降雨中に速度を出しすぎて急にブレーキをかけたためにスリツプして発生した事故や、景色に見とれて脇見運転をしたために発生した事故なども含まれていること、本件道路において発生した事故処理に当つていた警察官が、他の危険箇所についてはほぼ滑り止め舗装が終つているが、滑り止め舗装をしていない本件事故現場付近に発生する事故件数が多いとの認識から、本件事故後である昭和四五年頃警察署長を通じて当局に滑り止め舗装をしてほしい旨の要望を出したが、被告国は、本件事故現場付近の道路が滑り止め舗装をすべき場所に当らないとの判断から、未だに滑り止め舗装をしていないこと、以上の事実が認められる。しかし、右の本件事故現場付近で発生した事故事例の具体的状況が不明であるので、本件事故現場付近の道路が、要覧〈4〉〈ロ〉の標準に該当するか否かは不明であるというほかない。

2  原告らは、本件道路は、高温多湿地帯の交通頻繁な地域にあり、通常のアスフアルト舗装では高温により路面が溶け出し、降雨の際には溶け出した路面と水とが混合して滑りやすくなる旨主張し、〈証拠省略〉によれば、本件事故後、本件事故現場付近の道路上を雨水が流れ、その上に油がキラキラと浮いている状態であつたことが認められる。しかし〈証拠省略〉により前記大協石油ガソリンスタンドの周辺には油罐がころがつており、これから流れ出た油が浮いていた可能性があることが認められること、前記のとおり本件道路の路面状態が良好であることおよび〈証拠省略〉に鑑みると、右事実だけで原告ら主張の事実を認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

3  また、原告らは、一宮町方面から熊本市方面に向う車両は、前記大協石油ガソリンスタンドの手前の急坂で加速され、平坦な箇所で一旦押しとどめられた状況で本件事故現場の下り坂にさしかかるため、押しとどめられた支えを失つた反動で一気に加速されるので、一層加速されることとなり、本件事故現場の道路は極めて滑り易い状態となつている旨主張するか、前記二(一)のとおり一宮町方面から熊本市方面に向い、大協石油ガソリンスタンドの手前にある急坂と本件事故現場付近の下り坂との間にかなりの距離があることおよび検証の結果に照らして、右主張は採用しがたい。

以上述べたところに、前記二(一)、(二)の事実および〈証拠省略〉を総合して考えると、本件道路は、滑り止め舗装をしていなくても、道路として通常備えるべき安全性を具備しており、本件事故は降雨中に坂を下る際にブレーキ操作を誤つた被告境の過失のみによつて発生したものというべきである。従つて、本件道路に滑り止め舗装をしなかつたことをもつてその設置、管理に瑕疵があつたとする原告らの主張は採用できない。

(五)  被告会社の責任

〈証拠省略〉によれば、次の事実が認められる。

1  被告会社は、住宅資材の総合卸販売を目的とする株式会社であるところ、昭和四三年五月頃熊本市に熊本営業所(以下「営業所」という。)を設け、所長以下四名を営業所の業務に従事させていた。営業所では、その取扱商品をすべて訴外会社の倉庫に預け、かつ、運送部門がないため得意先への配達業務もすべて訴外会社に請負わせていた。訴外会社では、当初、同社の自動車だけで営業所の商品の運搬をしていたが、そのうちに自動車が足りなくなり、訴外関谷英治等に下請させるようになつたものであるところ、訴外関谷の従業員であつた訴外森下昭が、昭和四四年三月頃加害車を購入し、運輸大臣の免許を受けないで、訴外会社の下請として、訴外関谷から独立して営業所の商品を運搬するようになつた。ところが、訴外森下の身体の工合が悪くなつたため、被告境が、同訴外人から加害車の権利を譲り受けることとし、同年七月上旬頃から訴外森下に替つて、これまた運輸大臣の免許を受けず、加害車一台のみを使用し、訴外会社の下請として営業所の商品を運搬するようになつた。

2  営業所では、商品の注文があると、電話等で訴外会社に対して出荷指示をし、訴外会社において出庫指図書三通を作成し、訴外会社の従業員が商品の出庫および自動車への積載を指揮し、自動車の運転手が右三通の出庫指図書を持参し、営業所の職員が運搬車に同乗することなしに顧客に商品を配達し、顧客に商品と共に右出庫指図書のうち一通を渡し、他の二通に受領印を徴して持帰り、内一通を訴外会社で保存し、残りの一通を訴外会社から営業所に渡す取扱いとなつていた。

訴外会社では、出荷指示があつた場合には直ちに顧客に商品を配達できるようにしておいてほしいとの営業所からの要請により、本件事故当時、営業所の営業時間である午前八時三〇分から午後五時三〇分までの間は、営業所の仕事があつてもなくても被告境らおよびその運転車両を待機させていた。そして、本件事故当時は、被告境(従つて加害車)が営業所の専用便の役割を果し、同被告だけでは間に合わないときに、訴外会社および被告境以外の下請業者の自動車を使用するという形態をとつていた。そのため、訴外会社では、右出庫指図書の「運送者氏名」欄に、被告境が運搬した場合には「ツダ便」と記載し、その他の者が運搬した場合にはその者の氏名を記載する扱いをしており、この取扱いについては営業所でも承知していた。

3  運賃については、当初、訴外会社に対して、保管料も含めて一ケ月分を一括して支払い、訴外会社からその下請業者に対して運賃を支払う取扱いであつたが、昭和四四年一月頃訴外関谷から営業所に対して、下請業者に直接運賃を支払つてほしいとの申入があり、その後、営業所では、訴外会社に対しては商品の保管料および入出庫料を支払い、運賃については下請業者に対して直接に全額支払うこととした。訴外森下も右例に従い営業所から直接に運賃の支払を受けており、被告境は、訴外森下名義でやはり直接にその支払を受けていた。

4  被告会社(あるいは営業所)は、加害車の購入、維持に関し、訴外森下にも被告境にも何らの援助をしておらず、また、訴外森下が営業所の商品を運搬するようになつた当初、加害車に被告会社の社名とそのマークを記載したことがあるが、その際には、営業所長がその日のうちにこれを抹消させた。

5  被告境は、本件事故当時食堂を経営していたが、同被告が加害車の運転に従事し、あるいは訴外会社に侍機している間、同被告の妻が主として食堂の仕事を担当していた。

6  被告境は、加害車を専ら営業所の商品運搬にのみ使用し、これで他の荷物を運ぶことはなく、本件事故も、営業所の商品を顧客まで運搬しての帰途に惹起したものである。

7  営業所がトラツク便で商品を発送したために支払つた運賃総額中に占める訴外森下ないし被告境(従つて加害車)に対して支払つた運賃の割合は、昭和四四年三月支払分が六・八パーセント位、同年四月支払分が一八・八パーセント位、同年五月支払分が六・六パーセント位、同年六月支払分が七・四パーセント位、同年七月支払分が一七・三パーセント位、同年八月支払分が八・〇パーセント位である。

以上の事実が認められ、右認定に反する〈証拠省略〉はたやすく措信しがたく、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。 右事実によれば、被告会社は、営業所の営業活動に必要な運送部門を持たないため、これをすべて訴外会社に請負わせていたものであるが、昭和四四年一月頃からは、訴外会社で使用した下請人に対する運賃を、営業所から直接下請人に対して全額支払うこととして下請人との結びつきを強め、また、訴外会社に対して、営業所から出荷指示があつた場合には直ちにこれに応ずることができる態勢を整えておくように要請し、その結果訴外会社をして、少なくとも被告境および加害車を営業所の営業時間中常時訴外会社に営業所の商品運搬のために待機させていたものであり、また、被告境は、加害車のみを使用して営業所の商品運搬のみに当り、訴外会社の下請人として営業所の専用便の役割を果しており、営業所においてもこの事情を承知していたものであるから、加害車の購入、維持に関して被告会社が何らの援助を与えず、また、営業所の職員が、その商品の積み降しに直接関与せず、かつ、加害車に同乗したことがなかつたとの事情があつても、なお、被告会社は、加害車に対し運行支配および運行利益を有していたものであり、加害車を自己のため運行の用に供していたものに当るというべきである。

(六)  過失相殺について

加害車と被害車との衝突地点が、熊本市方面から一宮町方面に向う車線のうちのどの場所であるかについて、原告李本人は、同車線の中央よりも路側帯に寄つた方である旨供述し、被告境本人は中央線に寄つた方である旨供述しており、正確な場所を確定できないが、右各供述に、〈証拠省略〉を総合すると、原告李に不利に考えても、右車線のほぼ中央に停止した被害車に加害車が正面衝突してきたものと認められるに止まる。ところで、被告会社は、同原告がその先行車と加害車との接触事故を発見してから一〇秒位後に本件事故が発生した旨主張し、その前提で同原告がその間に適切な回避措置を講ずべきであつた旨主張するが、前記本件道路状況および事故態様に鑑み、第一の接触事故から本件事故までの間に被告主張のような長い間隔があつたとは認め難い。だが、右状況に鑑みると、被害車が十分に左側に寄つて停車しておれば、本件衝突事故を回避できた可能性があることは否定しがたい。しかし、仮に右事実を認めることができたとしても、本件事故態様に鑑みると、被告境の過失が極めて大きい本件においては、原告李の適切な事故回避措置を講じなかつた右落度をもつて、過失相殺までするのは相当でないといわなければならない。

また、被告会社は、原告李が、同原告に適切な回避措置を講じなかつた過失があることを主張し、同佐々木を被害者として、被害車についての自賠責保険金を請求し利益を得ようとしたのであるから、原告らが原告李に過失がなかつた旨主張することは信義則に反する旨主張するが、仮に右事実があつたとしても、被告会社が信義則違反を主張できる筋合ではないし、また右に述べたように、仮に原告李に落度があつたとしても、過失相殺までするのは相当でないので、いずれにしても被告会社の右主張は理由がないというべきである。

三  李原告の損害およびその填補

(一)  原告李の傷害および後遺症

1  〈証拠省略〉によれば、次の事実が認められる。

原告李は、本件事故により、傷害を負い、熊本市の西郷病院において、昭和四四年八月二二日から同年一〇月二一日まで六一日間入院し、両肩・頸部・左膝・前胸部打撲、右膝関節部切創(二ケ所縫合)との病名の下に治療を受けた。その後同原告は、帰京して中野総合病院に同月二七日から昭和四五年一〇月一九日までの間二五五回通院したが、同病院に通院を開始した当初、既に両肩・頸部・左膝・前胸部打撲、右膝関節部切創による症状は認められなかつた。しかし同病院では同原告の訴えに基づき外傷性頸部症候群との病名の下に治療を続け、同年六月一八日に、他覚的症状として、頸椎可動域が前屈一二〇度、後屈一四五度、右傾一五六度、左傾一五二度、右回旋七四度、左回旋六〇度しかなく、三頭筋反射低下、右筋皮・右橈骨神経領域の知覚脱失、右腋窩・左筋皮・左橈骨・両側正中、両側尽骨神経領域、右頸部の知覚鈍麻があり、握力が右二八瓩、左二〇瓩しかなく、前斜角筋部・憎帽筋・胸鎮乳突筋に圧痛、背・上肢・前胸部に放散痛・疼痛、右膝蓋部瘢痕(六糎×一糎、四糎×〇・四糎)がある等の症状(ただし、レントゲン検査上第六、第七頸椎間前方に小さな石灰化像を認めるほか著変なく、脳波所見も正常範囲内である。)、自覚症状として、頭重感、悪心、耳鳴り、右上肢しびれ感、肩こり、判断力・記銘力低下、腰が重苦しくだるい、歩行時に右下肢が自由でなくステツキを必要とする、眼がはれぼつたく重苦しい、鼻がつまる等の症状を残して症状が固定した旨診断し、右症状は総合して「神経系統の機能に著しい障害を残し、軽易な労務以外の労務に服することができないもの」に該当する旨診断した。また、同病院は、同年六月二〇日に、視力が右〇・五、左〇・六で矯正不能であり、これは外傷性機能障害によると考えられる旨診断した。

(1) 右にみた如く、西郷病院における診断病名には、外傷性頸部症候群との病名がないが、〈証拠省略〉により、同病院において牽引等の治療を行なつたことが認められること、真実同病院の前記診断病名に副う症状しかなかつたのであれば、六一日間も入院するのは長すぎるように思われること、前記本件事故態様から外傷性頸部症候群の症状が出ることは十分考えられること、中野総合病院において右病名のもとに長期間治療を行なつていること、などの事情から判断して、同原告は、本件事故により、前記西郷病院における診断病名の傷害のほかに外傷性頸部症候群の傷害を負い、その治療のために前記中野総合病院における通院治療必要であつたものというべきである。

(2) 〈証拠省略〉によれば、同原告は、本件事故前裸眼で右が一・〇位、左が〇・八位の視力があつたが、本件事故後視力が低下して、裸眼では前記診断のとおりとなつたこと、しかし、眼鏡をかけると左右とも〇・七ないし〇・八位になることが認められる。従つて、この点に関する前記診断は、この限度において修正されるべきである。

(3) 原告本人の写真であることに争いがなく、弁論の全要旨により昭和五〇年三月二〇日に撮影したものであると認める〈証拠省略〉によれば、右同日原告李が、両手に荷物を持ち、ステツキを使用しないで正常に歩行していたこと、左腋に小さな荷物をはさんで小走りに走つていたことが認められる。

ところで原告李本人は、昭和五〇年四月二八日の本人尋問期日において、歩行障害の点に関して、主尋問に対し、右膝の神経を切つたので膝に力が入らず、ステツキがないと歩きにくかつた旨および現在は以前に比して幾分よくなつたものの、未だ完全には力が入らない状態である旨供述し、反対尋問に対し、現在日常生活において多少歩行に差しつかえがあり、天気の好い日などにはステツキを使わない時もあるが、それでも季節の変り目にはステツキを使わないと歩行に差しつかえがある旨および走つたりすることは殆んどできない旨供述し(なお、右本人尋問当日は天気の好い日であつたが、同原告はステツキを使用していた。)、次いで、〈証拠省略〉を示しての反対尋問に対し、〈証拠省略〉に写つた際には、サポーターをして下着を厚くして膝を固定し、社会復帰が早くできるように、できるだけステツキを使わないようにしていたところである旨供述し、被告代理人の「サポーターをしていれば走ることもできるということですか。」との質問に対しては、「この写真は別に走つているという状況ではない。」と言つて、直接には質問に答えず、同代理人の再三の質問に対して、ついに、多少は走ることができる旨供述し、再主尋問に対しては、タクシーに乗るためにこれを追いかける程度の短い距難なら走れるが、長い距離は走れないとの趣旨の供述をするに至つた。

右供述経過および右認定事実に鑑みると、歩行障害の点に関する原告李本人の右供述は、その信用性に多大の疑問があつて直ちに措信しがたく、前記中野総合病院におけるこの点の診断も、同原告の訴えに基づいてなされたものと推認されるので、右診断を直ちに信用することはできず、他に右後遺症の存在を認めるに足りる証拠はない。

2  原告李本人は、前記本人尋問期日において、

(1) 中野総合病院で、レントゲン検査の結果、肩の骨が一寸折れていたと言われた旨および鼻をどこかにぶつけたらしく、鼻が少し「く」の字型に曲つたために鼻がつまる旨供述するが、前顕甲号各証の記載に照らしてたやすく措信しがたい。

(2) 現在においても、首筋がつつていらいらし、いつも針で刺されているような感じで、後頭部の真中辺りがずきんずきんとする感じ、右上肢しびれ感、物忘れ、眼のはれぼつたい感じ等がある旨供述するが、前記のとおり、ステツキを用いないと歩行に障害があるか否かという後遺症状としては重要な点について、措信しがたい供述をしていること、同原告の症状については他覚的所見が乏しいこと、本件事故後既に長期間経過していることなどの事情に鑑みると、右供述の信用性についても疑問があつて、直ちに措信することはできないものというべきである。

3  以上述べた次第で、原告李の後遺症の程度およびその存続期間については、必ずしも明確にはなしえないが、前記原告の傷害および治療経過等に鑑みると、控え目にみて、中野総合病院において症状が固定したと判断した時点においては、前記1(2)、(3)および2(1)に述べた点を除き、ほぼその診断症状に相応する程度の症状があつたが、その後改善をみて、視力低下および醜状搬痕の点を除き、昭和五〇年三月末頃にはほとんどすべての症状が消失するに至つたものとみるのが相当である。

(二)  治療費 金五一万五、五五七円

〈証拠省略〉によつて認める。

(三)  入院雑費 金一万八、三〇〇円

前記原告李の傷害の程度、入院期間等に鑑み、同原告が入院一日当り金三〇〇円の雑費を要したものと推認する。

(四)  通院交通費・雑費 金一六万四、五〇〇円

〈証拠省略〉弁論の全趣旨によれば、原告李は、本件事故当時既に同佐々木と結婚していたものであるところから、帰京後中野総合病院へ通院した際の交通費は、原告佐々木の分も同李が支払つたこと、中野総合病院へ通院したうちの前半一二五回位については原告両名が一緒にタクシーを利用し、一往復当り金一、〇〇〇円位を要したこと、タクシーを利用しない場合の往復交通費は一回当り二人分で金三〇〇円ないし四〇〇円を要したことが認められる。また、前記原告李の傷害の程度等に鑑みると、通院雑費としてはそれ程大した費用を用しなかつたものと推認される。

そこで、中野総合病院への通院に関する費用として、原告李の通院回数二五五回のうち、一二五回分については、通院雑費を含めて一回当り金一、〇〇〇円、一三〇回については通院雑費を含めて一回当り金二〇〇円、同佐々木の通院回数二一五回(後記のとおりである。)のうち一二五回を控除した残りの九〇回について通院雑費を含めない交通費として一回当り金一五〇円を本件事故と相当困果関係にある費用と認める。そうすると通院交通費・雑費は金一六万四、五〇〇円となる。

(五)  調査費用

〈証拠省略〉によれば、原告李が、友人と二人で昭和四七年八月頃飛行機で熊本市に赴き、被告会社および被告境の関係などについて調査したこと、その後も同原告が調査のため何度か熊本市へ行つたことが認められる。原告李は、このために要した費用として金二〇万円を請求するが、右費用は本件事故と相当因果関係にある損害とは認められない。

(六)  逸失利益 金一六九万円

〈証拠省略〉によれば、同原告が、昭和一六年三月三〇日生まれの男子で、本件事故の三年位前から電気工として勤務し、昭和四四年五月に金七万九、四二五円、同年六月に金七万一、六五〇円、同年七月に金六万七、五〇〇円の賃金を得ていたが(〈証拠省略〉の記載のうち「昭和四三年」とあるのは誤記であると認める。)、本件事故による負傷のため欠勤を続け、電気工事には危険が伴い、健康体でないとできないとの理由でいつしか辞め、その後昭和四九年三、四月頃から友人の店の仕事をしていることが認められる。原告李本人は、友人の店の仕事は、身体の工合が悪いので留守番、電話番程度のことしかできず、一ケ月に一二、三日程度しか出勤できない旨供述しているが、前記(一)に述べたところから考えて、右供述部分を直ちに措信することはできないものというべきである。

右事実、前記(一)の事実等に鑑みると、原告李は、本件事故による傷害のため、その労働能力を、昭和四四年八月二三日から同年一二月三一日まで一〇〇パーセント、昭和四五年一月一日から同年一〇月三一日まで五〇パーセント、同年一一月一日から昭和四八年三月三一日まで二五パーセント、同年四月一日から昭和五〇年三月三一日まで一〇パーセント程度喪失したものと認めるのが相当である。その後も前記視力低下および醜状痕は存続しているわけであるが、前記程度ではこれが労働能力の低下をもたらすものとは考えられないので、この点は慰謝料の算定に当り十分考慮すれば足りるものと考える。

ところで、前記原告李の賃金額によれば、昭和四四年度の年収が金八七万四、三〇〇円程度と推認されるところ、当裁判所に顕著な労働省の賃金構造基本統計調査によれば、全産業男子労働者・企業規模計の年間平均給与額は、昭和四四年度が金八六万一、六〇〇円、昭和四五年度が金一〇二万六、九〇〇円、昭和四六年度が金一一七万二、二〇〇円、昭和四七年度が金一三四万六、六〇〇円、昭和四八年度が金一六二万四、二〇〇円、昭和四九年度が金二〇四万六、七〇〇円であると認められるので、同原告の年収も、本件事故に遭遇しなければ、右平均給与額の上昇率と同じ割合で上昇したものと推認される。従つて、同原告の得べかりし年収は、昭和四五年度が金一〇四万二、〇三六円、昭和四六年度が金一一八万九、四七七円、昭和四七年度が金一三六万六、四四七円、昭和四八年度が金一六四万八、一三八円、昭和四九年度が金二〇七万六、八六四円程度となる。

以上の前提に従い、ホフマン方式により中間利息を控除すると、別紙計算書(一)の計算を参考として控え目にみて、原告李の逸失利益の事故時の現価は金一六九万円を下らないものと認められる。

(七)  慰謝料 金二〇〇万円

以上認定の諸事情に鑑み、原告李に対する慰謝料としては金二〇〇万円が相当であると認める。

(八)  損害の填補 金一五一万円

原告李が、自賠責保険から金一五一万円の填補を受けたことは、同原告の自認するところである。

(九)  弁護士費用 金二六万円

原告李が、本訴追行を弁護士に委任したことは当裁判所に顕著な事実であるところ、〈証拠省略〉によれば、その報酬等として判決認容額の一五パーセントを支払う旨約したことが認められるが、本件事案の内容、訴訟経過、認容額等に鑑み、本件事故と相当因果関係にある分としては、金二六万円が相当であると認める。

四  原告佐々木の損害およびその填補

(一)  原告佐々木の傷害および後遺症

〈証拠省略〉によれば、次の事実が認められる。

原告佐々木は、本件事故により、両眼・眼瞼・角膜挫傷、外傷性頸椎症候群、腰部椎間板障害、右膝関節・両肩・前胸部・左拇趾挫傷、顔面挫創、歯牙一四本破損、歯髄炎等の傷害を負い、西郷病院に昭和四四年八月二二日から同年一〇月二一日まで六一日間入院し、その間眼科医院に同年九月一日から同年一〇月六日までの間に七回、歯科医院に同年九月一二日から同年一〇月二一日までの間に一二回通院し、その後帰京して、中野総合病院に同年一〇月二七日から昭和四五年一〇月一九日までの間に二一五回、武蔵野赤十字病院に同年四月二三日から同年九月一一日までの間に一四回、八成歯科医院に昭和四四年一二月一日から昭和四五年九月一一日までの間に一〇回通院して治療を受け、どの症状も同年九月中旬頃までには固定した旨診断された。歯については、上顎部左右第一ないし第三歯部が歯槽骨骨折、上顎部右第四、第五歯部は破折部が歯髄に達して露髄しているため、上顎前歯の保存はあまり期待できず、咀しやく機能に著しい障害を残している。顔面には数箇所に最長六糎位の線状瘢痕がある。頸部には、頸椎運動制限(前屈一三五度、後屈一二五度、左屈一五二度、右屈一五六度、左回旋五九度、右回施五四度)等の症状があり、レントゲン検査上も第四頸椎が第五頸椎に対し、前屈時には前方に後屈時には後方に約〇・七糎移動することが認められる。腰部については、腰椎運動制限(前屈一五六度、後屈一四九度、左屈一六〇度、右屈一五九度、左回旋三二度、右回旋三四度)があり、前屈と回旋が正常のほぼ二分の一に制限され、コルセツトを装着していても約三分間で腰痛のため姿勢を変えざるを得なくなり、ハンドバツクより重い物は疼病を来すため持てない状況にあり、レントゲン検査上第四、第五腰椎椎間左側がやや狭縮しているようにみられる。その他、握力減少(左四瓩、右八瓩)、両側橈骨神経・両側正中神経・左筋皮神経領域に知覚鈍麻等の症状がある。また自覚症状としては、頭痛、判断力・計算力・忍耐力・理解力・記銘力の低下、目まい、耳鳴り、頸部・腰部・腹部・右膝部・左拇趾痛、肩こり、左上肢しびれ感・脱力感等がある。さらに眼については、ガラスの破片が左右の眼に刺さり、右眼のそれは取れたが左眼のそれは失明のおそれがあるので取れない状態で、角膜混濁による不正乱視があり、このため視力が右〇・二、左〇・〇四で矯正不能となり、眼精疲労が強く残つている。

右後遺症のため、原告佐々木は、現在に至るも寝たり起きたりの生活をしており、家事などの仕事はほとんどできない状況にある。

(二)  治療費 金三五万二、二一一円

〈証拠省略〉によれば、原告佐々木が合計金三五万三、二一一円を下らない治療費を要したことが認められる。

(三)  雑費 金一一万三、〇〇〇円

〈証拠省略〉によれば、同原告が、昭和四五年二月一二日腰椎用装具軟性コルセツトを金八、〇〇〇円で購入し、昭和四七年一〇月三日に眼鏡およびコンタクトレンズを金二万九、〇〇〇円で購入したことが認められる。また、前記同原告の傷害および後遺症の程度並びに入通院状況等に鑑みると、入院一日当り金四〇〇円、通院一回当り金二〇〇円、合計金七万六、〇〇〇円を下らない雑費を要したものと推認される。

(四)  過失利益 金一、七一〇万円

〈証拠省略〉によれば、次の事実が認められる。

原告佐々木は、昭和一九年九月一七日生れの女子であり、もとデパートの店員をしていたが、昭和四四年二月頃新宿チヤイナタウンのホステスとして勤務し、同年五月に金五万六、七七〇円、同年六月に金六万六、一四〇円、同年七月に金八万〇、〇一〇円の賃金を得ていたが、本件事故後出勤できず、全く収入がなくなつたこと、同原告がホステスとなつたのは、当時既に原告李と結婚していて、飲食店を経営したいとの希望があり、一年位ホステスをして飲食店経営のための見習をしたいとの意思からであつたことが認められる。しかし、原告佐々木の右希望がどの程度具体化したものであつたかの点および飲食店経営によつて得られる利益の点については、これを認めるべき証拠がないので、同原告の逸失利益の算定に当つては、右事実を重要視するのは相当でないものというべきである。

そこで、同原告が、三五才に達したのちの昭和五五年三月三一日までホステスとして稼働し、その後主婦として家事労働に従事するものと考えて、逸失利益を算定することとする。右認定の原告佐々木の賃金から換算すれば、同原告の昭和四四年度の年収は金八一万一、六八〇円となるところ、その職業柄、化粧代、衣裳代等の必要経費として三割程度を要するものと推認される(右認定に反する〈証拠省略〉はたやすく措信しがたい。)ので、金五六万八、一七六円が純益となる。ところで、当裁判所に顕著な労働者の賃金構造基本統計調査等によれば、全産業全女子労働者・企業規模計の年間平均賃金額は、昭和四四年度が金四一万八、九〇〇円、昭和四五年度が金五〇万三、七〇〇円、昭和四六年度が金五八万八、七〇〇円、昭和四七年度が金六八万〇、一〇〇円、昭和四八年度が金八四万五、三〇〇円、昭和四九年度が金一一二万四、〇〇〇円、昭和五〇年度が極く控え目にみて前年度の五パーセント増であると認められるので、同原告の年収も右増加率に従つて増加するものと推認される。これによると、本件事故に遭遇しなければ、同原告の純益は、昭和四五年度が金六八万三、一九四円、昭和四六年度が金七九万八、四八三円、昭和四七年度が金九二万二、四五三円、昭和四八年度が金一一四万六、五二一円、昭和四九年度が金一五二万四、五三五円、昭和五〇年度ないし昭和五四年度が金一六〇万〇、七六一円程度となり、昭和五五年度以降は昭和五〇年度の平均賃金額である金一一八万〇、二〇〇円程度となるものというべきである。

一方、前記原告佐々木の傷害および後遺症の程度に鑑みると、本件事故により同原告が、その労働能力を、昭和四四年八月二三日から昭和五一年三月三一日まで一〇〇パーセント、その後昭和五五年三月三一日まで九〇パーセント、その後昭和八八年三月三一日まで六五パーセント程度喪失したものと認められる。そして、過去の分についてはホフマン方式により、将来の分についてはライプニツツ方式により中間利息を控除すると、別紙計算書(二)の計算を参考として控え目にみても、本件事故時の逸失利益の現価は金一、七一〇万円を下らないものと認められる。

(五)  慰謝料 金五〇〇万円

前記原告佐々木の傷害および後遺症の程度その他諸般の事項に鑑み、同原告に対する慰謝料としては金五〇〇万円が相当であると認める。

(六)  損害の填補 金二五六万円

原告佐々木が自倍責保険から金二五六万円の填補を受けたことは同原告の自認するところである。

(七)  弁護士費用 金一五〇万円

原告佐々木が本訴追行を弁護士に委任したことは当裁判所に顕著な事実であるところ、〈証拠省略〉によれば、その報酬等として判決認容額の一五パーセントを支払う旨約したことが認められるか、本件事案の内容、訴訟経過、認容額等に鑑み、本件事故と相当因果関係にある分としては、金一五〇万円が相当であると認める。

五  結論

以上述べたところによれば、原告らの本訴請求は、被告会社および同境各自に対し、原告李が金三一三万八、三五七円およびこれから弁護士費用分金二六万円を控除した残金二八七万八、三五七円に対する本件事故発生の日の翌日である昭和四四年八月二三日から、右金二六万円に対する本判決言渡の日である昭和五一年二月一九日から、同佐々木が金二、一五〇万六、二一一円およびこれから弁護士費用分金一五〇万円を控除した残金二、〇〇〇万六、二一一円に対する昭和四四年八月二三日から、右金一五〇万円に対する昭和五一年二月一四日から、いずれも支払ずみまで、民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるから認容し、被告会社および同境に対するその余の請求並びに被告国に対する請求をいずれも失当として棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用し、仮執行免脱宣言は相当でないから付さないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判官 瀬戸正義)

別紙〈省略〉

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